興陽高校様にてお話ししてきました/こーいち

興陽高校様にて出前授業という事で、つまらぬ話をしてきました。

自分の高校生活がいかに「いい加減」であったか、会社に入っていかに先輩から道を教わってきたか、結果として造園会社に入って良かったと思えたことを、たどたどしくも何とか語らせて頂きました。

生徒さんがみんな暖かく見守ってくれて良かったです、ほんとに……

こちらではそのスピーチの原稿を、ちょっと端折って喋ってしまった部分まで載せておきます。

気が向いたら読んでみて下さい。

 

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みなさん、おはようございます。 ご紹介にあずかりました、株式会社武田園の堀江晃一と申します。

 

今ご紹介いただいた通り、私はみなさんと同じ、ここ興陽高校造園科の卒業生です。卒業したのは平成5年度ですから、今からもう30年以上も前のことです。

 

今すでに齢は50歳になりました。 50歳の芸能人というと、例えば、元SMAPの草彅剛さんや香取慎吾さん、お笑い芸人なら有吉弘行さん、バナナマンの設楽さんあたりが同じ歳です。 そう言われると、なんとなく「ああ、結構なおじさんなんだな」とイメージが湧くでしょうか。

 

実は、私にはみなさんと全く同じ、高校2年生になる次男がいます。彼は今、翠松高校に推薦で入って、バドミントンを熱心にやっています。 ……いや、「熱心に」というよりは、本当にバドミントン「だけ」を猛烈にやっています。勉強とか、他のことはちょっとここでは言えないくらい、おざなりなんですけれどね。 ですから、今日ここに座っているみなさんの顔を見ると、毎日家で見ている息子の姿と重なって、なんだかとても他人事とは思えない気持ちになります。

 

さて、そんな私の高校時代がどうだったかというと、みなさんと同じように、この学び舎で3年間を過ごしました。 1年生の時の担任は神崎先生。そして2年生、3年生の時は、中野先生が担任でした。

 

みなさんの中には、今の中野校長先生の印象があると思いますが、当時の先生は非常に若くて、活発で、生徒たちからものすごく人気があるお兄さんのような先生でした。

 

私は高校3年間、これといって目立つ大きな活動はしていなかったのですが、体育祭の応援団だけは3年間やり通しました。 当時は「造園科の応援団」といえばとにかく強くて有名で、私の代も3年連続で優勝したんです。ただ、その練習は今では考えられないくらいのスパルタでした。

 

私が2年生の時です。3年生の先輩から、ちょっとねむくてボーッをしているのを見られ竹刀でこんかぎり強く殴られたことがありました。その様子を、なんと担任の中野先生が廊下の向こうからバッチリ目撃したんです。助けてくれるかと思ったら、中野先生は「ハッハッハッ」と笑って、「うんうん、今年もこの時期が来たねぇ……」と言わんばかりに満面の笑顔を浮かべ、何事もなかったかのように去っていかれました。 いやぁ……今でも強く印象に残っている、古き良き思い出です。

 

そんな風に、応援団こそ熱心にやりましたが、学校生活全体で見れば、私は決して「将来の夢に燃える優等生」ではありませんでした。 実際のところ、3年生の進路を決める時期になっても、大きな活動もしていない、造園に対する気構えもどこかいい加減なままでした。

 

そんな私の就職活動は、実に驚くほどあっさり決まりました。 実習の三宅先生から「武田園という会社があるから、バイトに行ってみろ」と言われ、今の会社にアルバイトに行ったんです。 そしてバイトの最終日、社長から「来るか?」と聞かれ、私は「あ、はい」と答えました。これが、私の就職活動のすべてです。 もちろん後日、ちゃんとした面接試験はありましたが、実質あの瞬間に決まっていたのだと思います。

 

「大きな活動もせず、いい加減な気持ちで就職を決めた」 こう言うと、あまり良い先輩の例には聞こえないかもしれません。 でも、今日みなさんに一番伝えたいのは、ここから先の話なんです。 こんな「いい加減な考え」で選んだ道であっても、私は後になって、心から「この道を選んで本当によかった、正解だった」と思える瞬間に出会うことができたのです。

 

会社に入って1年目か2年目の秋、私は「生活環境保全林」の工事現場に配属されました。 保全林の工事というのは、自然の山を相手にする仕事です。 山を切り開いて付近の住民の方々が集える憩いの場として樹木を植えたり、歩道をきれいに整備したりします。 また、もともと山に生えている木が枯れてしまった部分に、新しく木を植えて山を再生させたりもします。 これは別の工事として土木業者が請けていましたが、大雨の時に沢から鉄砲水が流れてこないようにする、砂防ダムの建設といった工事と連携して進めることもあります。

 

私の最初の現場は、備前市吉永町の山奥でした。 9月頃から翌年の3月頃まで、秋から春先にかけての間じゅう、人里離れた深い山の中に、朝から晩までとらわれるような過酷な工事でした。 しかも、この工事は2年連続で続くことになります。

 

1年目の私の立場は、言うまでもなく「下っ端」です。 会社の大先輩の後ろに付いていって、右も左もわからないまま、毎日毎日、ただ叱られまくる日々でした。 体はきついし、怒られるし、正直に言って、ここでやっている経験が将来何の役に立つのか、さっぱりわかりませんでした。

 

ところが、2年目の秋に同じ現場に入った時、自分の中で変化が起きました。 「あれ? 先輩が何を言っているのか、めちゃくちゃよく分かるぞ」となったのです。

 

工事の記録写真をどうやって撮ればいいのか、役所の監督員さんとどうやって書類のやり取りを進めればいいのか、気がつけば一通りの流れが体で理解できるようになっていました。 1年目の、あの「わけもわからず叱られていた時間」が、すべて自分の血肉になっていたことに気づいた瞬間でした。

 

この保全林の工事を皮切りに、私は玉野市や吉井町など、様々な保全林の現場を経験させてもらいました。 その間に「造園施工管理技士」の2級、そしてさらにステップアップして1級の国家資格を取得しました。

 

資格を取り、経験を積んでいくうちに、私の立場はいつの間にか「現場代理人」へと変わっていました。 現場代理人というのは、文字通り「現場における社長の代理人」です。非常に恐れ多く、責任の重い立場です。 しかし、この立場になって初めて、私は仕事の本当の面白さを知りました。

監督として、下請けの職人さんたちを含めて多くの人を動かし、自分で工程を立て、チーム一丸となって「地図に残る仕事」を作り上げていく。これが、ものすごく楽しいと思えるようになったのです。

その後も、玉野市の国道にずらりと並ぶ街路樹を植えたり、個人のお客様のお宅で作庭・管理したり、竹垣を自分の手で作り上げたりと、造園のありとあらゆる技術を経験させてもらいました。

 

そして、私のキャリアの中で一つの大きな節目となったのが、「岡山県精神科医療センター」の植栽工事でした。 当時、一般的には「県立病院」と呼ばれていた大きな施設です。

 

その第2期工事のタイミングで、私たちは「岡山県で屈指の規模を誇る、巨大な屋上庭園を作る」という大役を任されました。 地上部分や3階、4階の植栽もありましたが、メインは何と言っても2階の屋上です。 そこには、まるで「小学校のグラウンド」かと思うほどの広大なスペースがありました。 そこに土を搬入し、様々な樹木を植え、歩きやすいようにゴムチップの舗装を施し、さらには水が流れる石組みを施工するという、 非常に大規模で難易度の高い工事でした。私はその現場代理人を務めることになったのです。

 

この工事を成功させるためには、どうしてもパソコンで図面を描く「CAD」のスキルが必要になりました。 しかし、私はそれまでCADなんて触ったこともありません。そんな私に教えてくれたのは頼りになる部長です。

 

「ここを押して角度を指定して、長さを入力したら線が引けるから」

 

なんと、講習時間はわずか10分でした。

 

そこからは、本当に独学です。 分厚いマニュアルを読む時間なんてありませんから、とにかく「現場で今、必要な動作だけ」を必死で覚えました。 CADソフトには、初心者が「絶対に押してはいけないスイッチ」がたくさんあります。 実は、50歳になった今でも、どれを押したら画面がバグるか分からないくらい、謎のスイッチがめちゃくちゃたくさんあります。 でも、必要に迫られれば、10分の講習からでも人間、なんとかなるものです。

 

そうして必死に図面を描き、現場を納めきった時、会社からこう言われました。 「お前、図面が書けるようになったんだから、次からは営業をやれ」と。 こうしてまた、いつの間にか、今の私の「営業」という仕事への道が開けました。

 

現在の私は、営業職として日々活動しています。 個人邸のお庭の相談から、マンションの植栽施工や管理、ゼネコンさんの工事現場から学校や病院の緑化計画など、仕事の幅はとても広いです。 しかし、そのすべての根底にあるのは、私がこれまで山の中で叱られ、現場代理人として悩み、独学でCADを動かしてきた、あの泥臭い経験のすべてです。 今までやってきたことの何一つとして、無駄なものはなかったと、今なら胸を張って言えます。

 

みなさん。今日、私がみなさんに伝えたかったのは、「最初から立派な志を持っていなくても、全然大丈夫だ」ということです。

 

今の段階で、「将来どんな造園家になりたいか」なんて、明確に決まっていなくても当たり前です。 私の高校時代のように、「なんとなく、いい加減な気持ち」で毎日を過ごしている人もいるかもしれません。

 

でも、それでいいんです。 大切なのは、チャンスが巡ってきた時、あるいは目の前に仕事が与えられた時に、「まずはその場に飛び込んで、目の前のことを一生懸命やってみる」ということです。

 

最初はわけが分からなくて、先輩に叱られて、何の意味があるのか見えない時期が必ずあります。 でも、そこで踏ん張って1年、2年と続けていくと、ある日フワッと、景色が変わっていることに気づきます。 あんなに難しそうに見えた図面が読めるようになり、職人さんに指示が出せるようになり、自分の関わった仕事が形になって、何十年もそこに残り続ける喜びを味わえるようになります。

 

造園という仕事は、緑を通じて、人々の暮らしや街の未来を豊かに彩る、本当に素晴らしい仕事です。 私の息子と同じ、可能性に満ち溢れたみなさんが、この興陽高校造園科での学びを足がかりにして、いつか社会へ羽ばたいていく日を楽しみにしています。

 

もしかしたら数年後、私たちの会社に入社してくる人がいるかもしれません。 その時は、中野先生のように「ハッハッハッ」と笑顔で迎えたいと思います。

 

みなさんのこれからの高校生活、そして素晴らしい未来を応援しています。